日本コダーイ協会全国大会を終えて
- YOKO

- 2023年9月21日
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更新日:2024年1月3日
報告が遅くなりましたが、7月29日、30日に日本コダーイ協会全国大会を無事終えることが出来ました。札幌では9年振りの開催となりましたが、私は実行委員長ということで、一年半前から企画と運営に携わりました。企画についても、せっかくやらせてもらえるなら…と自分のやりたいことを提案させてもらいました。でも、これが地獄を見ました。難しすぎた!
さて、難しい企画とはどんなものかといいますと…教育の根本について考えること。コダーイの提唱した人間教育とはどんなものであったのか?ということを、コダーイの理念を振り返りつつ、今の時代においてどのように適合できるかを考える。
乳幼児期の発達に照らし合わせ、なぜコダーイはわらべうたから始めると言ったのか?そして、学童期にどのように繋げ、発展させることができるのか?更には中学・高校での取り組みや可能性について。日本の公教育でコダーイ・アプローチを広めるために、どのようなことができるのか?ひとりの人間が生まれてから大人になるまでの道筋について、参加者皆で考えていくという企画。日本人としてのアイデンティティ、人間が学ぶ意味、生きるということ。そして、人間にとっての音楽、芸術の意味…などと、答えに困る果てしなく壮大な問いをテーマにしてしまったのです。
題して「目に見えない大切なもの」。今の時代、目に見えてわかりやすく、実績が伴ったものを求める傾向が増々強くなってきていると思います。それを手あたり次第、手に入れていくことは果たして子どもにとって生きる力になるのか?という疑問がありました。親は子どもが困らないようにと小さい頃からさまざまな習い事をさせ、いろんなことに対応できるようにするということですが、それで本当に子どもは困らないのでしょうか?いろいろなことができなければならないという足かせにはならないでしょうか?表面的な技術獲得に囚われて、本当の意味で必要な生きる力にはなっているのでしょうか?
実は、他愛の無い時間や、小さな経験(良い経験も悪い経験も)の積み重ねに大きな意味があったりするように私は思うのです。
そんなことをテーマにしてしまったうえに、3つのトークセッション(乳幼児、小学校、中学・高校)では、討論会によくある、発表者に発表内容をお任せという形でなく、テーマに沿っていただくことと、各セッションである程度の着地点を想定するという形にしたことで、とんでもなく難しい事態となってしまったのです。各トークセッションでファシリテーターを含め、それぞれ3~4人づつ、計10人の考えを把握し纏めることは果てしなく大変な作業でありました。それでも、今回の大会ではどうしても一貫性を持ちたかったし、依頼した講師皆で同じ方向を向き、様々な問題提起をしたかったのです。
大変ではありましたが、何度も幸せな気持ちになりました。共感する喜び、人から新たな知識や考えを享受する喜び、考え続けて新たな境地に出会う喜び。
「あぁ、私が子どもたちに望むことはこれだよな」と何度も思いました。
今回、東京在住の本澤陽一さんの合唱指導のデモンストレーションのために、うちの教室の子どもたちも出演しましたが、みんな堂々と、そして楽しそうに歌っていました。遊びを通して学ぶということも楽しさの要因ですが、美しい響きを探り、探り当てた喜びを感じることが彼らにとっての楽しみになっていたと、様々な場面で感じることができました。
いろいろな意味で学びの大きい機会だっただけに、大会が終わってかなりの喪失感。
予言していた通り、大会ロスになってしまいました(笑)。
これではいかん!と最近少しずつ動き出そうとしています。





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