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手間をかけるということ

  • 執筆者の写真: YOKO
    YOKO
  • 2024年1月3日
  • 読了時間: 3分

もう年が明けてしまったけれど、年末12月23日、教室のクリスマスコンサートを無事終えました。毎年恒例で自宅教室にてサロンコンサートを行っていたのだけど、コロナ渦により2年中止、昨年は別会場を借りて行ったが、いつものアットホームな雰囲気とはちょっと違って、子どもたちのほうから「今年は教室でやりたいなー」と声がかかった。

実は自宅コンサートは別会場でやるよりとっても手間がかかる。会場設営に加えて、演奏会終了後にお食事会もする。お料理はだいたい3品ほど、それぞれ大量に作る。お買い物から始まり、プチプレゼントの用意、当日は調理に司会進行、演奏、お片付けと毎度くたくたになってしまうので、決心するのに少々考えてしまったが、生徒から「あれは本当に楽しい!あれがあるから頑張れるんだよ~」と言われてしまうと、「よし、やるか!」と言わざるをえなかった(笑)


演奏会はみんな頑張りました!まず中学3年生の二人が受験生だというのに出てくれたことはとてもありがたかったし、嬉しかった。しかも結構頑張ってくれて‥というか「実は受験勉強からの現実逃避で今までより練習してるww」と…。あんなに練習を嫌がっていたのに、現実逃避になるほどの存在になったかと思うと本当に良かったなと思う。また、本当に長いこと練習をしてこなかった子なのに、感性豊かにそしてリズム感よく弾く。これには驚いたが、これは音楽においてコダーイが何よりも歌うことを重要視していたことを証明していると思った。彼女は3歳の時からわらべうたに通ってきていた。ピアノは本当にやって来なかったけど、耳を育てることと、どのようにフレーズを歌うか、形式と共に音楽をどのように運んでいくかは長らくやってきた。その力をもってすれば、ピアノを弾くことは少し努力を加えればさほど難しいことではなかったのだ。


もうひとりの生徒は幼いときから本を読むのが好きで、中学生の今では純文学を読み漁る文学少女。好きなんじゃないかなと思って、木下牧子の「夢見たものは」を歌うことを勧めた。『立原道造作詞?やるやる!』と飛びついて、速攻曲が決まった。

ささっと読むと幸せそうな内容に思う詩だけど、なんとなく影を感じるよねという会話から、次のレッスンの時には彼の生涯を調べてきた。立原道造は若くして結核で亡くなっているが、この詩が書かれたのは亡くなる一年前ということが分かった。そのような状況下を理解して詩について考えると、以前よりもはっきりと詩の解釈が進んでいく。これぞ音楽の醍醐味。なかなか解釈とか曲想というところに到達できずにいたのだけど、生き生きとこの音楽に関わる姿を見て、ひとつ超えたなと嬉しく思う。まさか立原道造に飛びつくとは私も驚いたけど、本当に良い機会を得たと思う。


小さな子から大人まで、皆レッスンではそれぞれに良い会話が出来、演奏についての意見を交わすことができた。今回は今まであった本番前の心配事はひとつもなく、本番が楽しみでしかなかったというのもいつもと違った点。音楽とは練習も大変だし、人の前で演奏するためには精神状態をどのようにコントロールするかということも毎度問われる。教える立場である私も未だにそうしたことと格闘している。格闘しながらも音楽とは多くのものを与えてくれるものだと確信を持って、子どもたちと共に更なる成長を目指したい。


「すっごく楽しいなー。毎週クリスマスコンサートだったらいいのに~」最近、合唱クラスに入会したばかりの小学1年生の女の子が言う。

手間をかけるということで必ず何かが人の心に残る。

『丁寧に』というのは私にとって得意なことではないのだけど、なるべく丁寧に、手間をかけて子どもたちと関わっていきたいと思う。

疲れ果てて次の日はぐったりしていたけれど、ほんわかと温かい気持ちが残った。


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