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コダーイとの出会い

  • 執筆者の写真: YOKO
    YOKO
  • 2023年2月9日
  • 読了時間: 3分

更新日:2024年2月26日

小さい時からピアノを続け、学生時代はピアノ科で、とにかく演奏することに力を注いでいたのだけど、子どものころからのトラウマに苦み、演奏を続けていくことに限界を感じていた。間違っちゃいけない。完璧にやらなきゃいけないという足かせに本来ある音楽の喜びが消えそうな自分の演奏。四角四面な日本人特有な評価も自分には辛かった。


そこで、卒業後何をするべきか?と考えていた時にハンガリーの音楽教育、コダーイ・アプローチに出会った。その時は深く考えず、「音楽は人間の人格に影響を及ぼす」というコダーイの難しい本の中の一節に惹かれて、勝手に夢を膨らませ、ハンガリーに行こう!と決めてしまった。これが私のコダーイとの出会い。

馬鹿みたいに単純でお恥ずかしい。ただ、音楽とは別に教育の世界にも興味を持っていたので、コダーイの音楽による人間教育という考え方にとても共感したのだった。

そもそもコダーイのことを調べようにも、図書館にはコダーイに関する本は2冊しかなかったし、周りに詳しい人もいなく、あまりよくわからずにハンガリーへ飛び立った。今思うと若いからこその勢い。アホだったけど、その勢いにはよくやった自分と褒めたい(笑)


ハンガリーでは驚くことばかり、毎日が刺激的で、楽しくて、やるべきこともいっぱいあって、押し寄せる波をひたすら乗り越えていたらあっという間に3年が過ぎた。

本当はもっと居たかったけれど、海外に出たことで、改めて日本の良さや、良くないところについて考えさせられた。初めてアイデンティティなんてものや、日本人に生まれたことの意味についてもぼんやりと考えるようになった。やはり自分は日本人に生まれ、日本についていろいろ思うところがあるのだから、日本でそれを少しでも改善できるような仕事をしたい!と、なんとも立派なことを思い掲げ帰国した。これも若いからこそかな?


コダーイの理念はとても深い哲学だ。3年ハンガリーに行ったくらいでは全く分かっていなく、帰国してから手探りで仕事をする中で、勉強したり実践してわかったことのほうがはるかに多い。今は揺らがない考えの基礎ができた。その基礎の上に自由に柔軟に考え巡らせることに面白みを感じるのである。そしてそれが、本来コダーイがそれぞれの教師に求めたことだったろうと思う。考え続けて新な境地にたどり着くことは何とも言えない喜びだ。今まで見えていた景色が変わること、そしてそれは変わり続けるだろうこと、それが本当の意味で生きるということなんだと思う。心折れそうなことも、わからなくて悶絶することも、理解してもらえなくて悲しくなっちゃうことも含めて、全部意味がある。考え続けることを止めなければいつか目の前が開ける時か来るだろう。


人生というものは何が起こるか、何がきっかけになるかわからない。たまたま出会った本の一説に重大な意味を勝手に見出し、そこから私の人生は大きく変わった。

そして、そのコダーイとの出会いは一生の出会いとなった。





 
 
 

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